塩見ホールディングス民事再生までの道

建設コンサルタントの株式会社塩見ホールディングスは、広島市に本社を置き、1980年当時大阪2部に上場していた株式会社塩見のグループ再編を目的として設立された持ち株会社として、同時に大阪2部に上場していました。

2005年ごろから数年に渡り、当時事業拡大の主流ともいえたM&Aを進めていたことにより、グループ企業は30社以上となり、2008年3月期には年商370億円を連結ベースで売り上げる企業にまで成長します。

しかし、不動産バブルは崩壊し、リーマンショックと信用不安などが次々と降りかかった原因が元で、拡大を狙って進めてきたM&Aが仇となり、子会社の営業譲渡や株式譲渡と切り売りが始まり、それが塩見王国が音を立てて崩れだした瞬間でした。

経営環境の悪化が止まらぬ中で、スポンサー企業が付き一点の光が見えたのですが、そのスポンサーであるノンバンク企業が先に民事再生手続きを進め、その後破産したため資金繰りはよりいっそう悪くなってしまいます。
その後すぐに債権者より破産を申し立てられて、破産手続き開始が決定しました。

M&Aが進む当時、山口県にある私立大学を運営する学校法人が少子化や私立大学競争激化の問題で経営が悪化し、2005年に民事再生を申請した時、塩見ホールディングスがスポンサー企業となって学園は再生したのですが、その後塩見ホールディングスの業績悪化で結局別法人に経営権は移行することを皮切りに、究極の連鎖倒産へと進みだしました。

これは、身の丈に合った経営をしなかった結果と言えます。

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カテゴリー:民事再生

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