原発訴訟を通して考える、裁判の適切な運営とは

訴訟
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1992年10月29日に最高裁判決が下りた伊方原発訴訟は、日本で初めての原発訴訟です。
伊方原発の周辺住民が伊方原発1号機の原子炉設置の許可の取消を求めて、1973年8月に提訴しました。

この訴訟は、原発の周辺住民に原告適格を認めたものとして有名です。
原告適格とは、原告になって訴訟を起こすことのできる資格のことを言います。
周辺住民は原発の設置をめぐって裁判所へ訴えることができるということが認められたのです。

このことは、それ以後の原発をめぐる訴訟において重要な意味を持ちました。
なぜならば、原告適格が認められなければ、そもそも訴えることすらできないからです。
そしてこの訴訟は、冒頭に述べたように1992年10月に最高裁判決が下りましたが、その判決は、原告敗訴というものでした。

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1973年の提訴から1992年の判決に至るまで、およそ20年もの間争われたことになり、また、2005年5月30日、高速増殖炉もんじゅに関する最高裁判決が下りました。
この訴訟についても、1983年の原子炉設置許可処分を巡って周辺住民が提訴しました。

取消訴訟は当時、3カ月が出訴期間とされていたため、当初は取消訴訟を出訴することすらできませんでした。
そのため、無効確認訴訟を提起しましたが、原告の周辺住民の原告適格の有無判断をめぐって、1983年から9年に渡る年月を要され、ようやく原告適格が認められてその入口に立てたのです。

訴えることができるかできないか、という段階で9年もかかってしまったことは、原告にとって辛い時期であったことは間違いありません。
そして2005年、原告敗訴となりました。

原告適格を認められるまでの長い年月、そして、最終的な敗訴という結果、この二つの原発訴訟は、裁判のより適切な運営とはなにかを考えさせられ、もっと迅速な裁判運営が望まれます。

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